文系と理系の考え方の違い
こんにちは。今日は理系の人間と文系の人間との考え方の違いについて書いて行きたいと思います。
僕は理系の人間ですが、教職の免許をとるために多くの文系の授業を受けてきました。ちなみに専修の免許を取るために、文系の大学院の授業もお邪魔しました。
そう言った中で、僕が感じた文系と理系との違いを書いて行きたいと思います。
あなたは理系的な考え方?それとも文系的な考え方
なぜ全人類は仲良く多様性を守る必要があるのか?
経験上この質問にどう答えるかで、分けることができると思います。
- 文系:すべての人は人権が保障されており、それを守るべき
- 理系:多様性があることでより良い考えが思いつく可能性があるから
- 勉強不足:答えられない
だいたいこれでいけると思います。
この記事の結論
理系と文系では、物事を考える時の前提条件が異なっています。
理系は実際に可能か?得はあるのか?という目に見える利益に重点を置いています。
逆に文系は権利や思い、心情など目に見えない利益に重点を置いています。
そのため、話が噛み合わなかったり、話し合いにならないこともあります。
これはどちらの方が大事とかの話ではありません。正直どっちも大事だし
まあ以下に詳しく書いて行きましょう。Go
人と意見が合わないのは前提条件が違うから
そもそもこんなこと考えたことありませんか?
なんで人と話してて話がうまく噛み合わないんや🤨
これの答えは前提条件が違うからです。
例えば、今日は3千円の中華を食べに行くぞ〜という会話があるとします。
A:中華料理やといえば王将やろ😉
B:中華料理ってホテルでしか食べるとこやんな?1万切るとかあり得ね〜
この2人がいるとしましょう。このAとBに「3千円の中華料理を食べに行く」という話をします。
すると意見が食い違うのは目に見えますよね。
A:『中華料理高すぎワロリン』
B:『1万切るとかマジあり得ない。豚の餌かそれは?』
きっとこんな感じです。
考え方や前提条件はその人の経験によります。つまり、人と意見が食い違うのは当たり前のことなのです。
なぜ前提条件が大きく異なるのか?
人の考え方の根底にある、前提条件ってどうやってできているのでしょうか?
これは経験と教育だと思います。まあ教育も経験の一種ですが、ここはあえて分けています。
特に頭が柔軟の間に体験する経験や教育が元だと思います。
つまり学校での生活がその人の性格や考え方に大きく影響を与えています。
でもここで疑問が思い浮かびませんか?義務教育ではみんな同じ教育を受けてるのにそんなに変わる?って
その疑問はその通りだと思います。義務教育は国から決められた学習指導要領に沿って授業が行われるし、教科書も国がオッケーしたものを使います。
なので中学生のレベルではあまり考え方の根本は異ならないと思います。中学生までは自分と少しでも違うことに怯えることが喧嘩になる原因です。
話はそれました。
ではどの段階で人って考え方が前提条件が分かれていくのでしょうか?
それは高校での文理選択です
この文理の選択がなんだかんだ、その後の人生の考え方の根底を形成していると思います。
理系と文系の違い
ここで一応文系と理系の違いを書いておきます。
簡単に書きますと
- 文系は国語と社会と英語を主に勉強する人です。
- 理系は数学と理科と英語を主に勉強する人です。
あ、もちろん英語はどっちでもガチで勉強してくださいね。理系でも英語で論文読まないといけませんからねー
さてここでみて欲しいのが
文系の科目って感情や人の気持ちがメインなのが分かりますか?国語も人の考えだし、社会も歴史では人の感情によって引き起こされた出来事を覚える科目です。なので人の感情など目に見えない利益を考え方の根底に置くようになるのだと思います。
逆に理系の科目は数字がものをいう科目です。数学は見て分かりますが、理科も結局は実験で得られたデータをもとに考えて行きます。なので、数字やデータ目に見える利益を考え方の根底に置きます。
まとめ
いかがでしょうか?少し長くなりましたが理系と文系の人では考え方の根本が異なるから話が合わないのではないということをつらつらと書きました。
とりあえず、社会に出て人と話しが合わないなと思った時は、お互いのゴールが同じで無いことが多いです。なのでそこを注目してみてはどうでしょうか?