ある大学生の南米一人旅 ~ブラブロDAY16 カンポグランデからブラジリアへ~

ブラジル日記


DAY16 カンポグランデからブラジリアへ

この日は朝6時の飛行機でカンポグランデを出発し,ブラジルの首都に向かいました。だいたい昼の12時にブラジリアに到着しました。ブラジリアにも親戚がいます。この人はマジのエリートです。色々お話を伺うことができました。簡単にまとめると勉強しろって言われ続けていました。(笑)

まあさておき,12時にブラジリアの空港につきました。親戚と合流する予定でしたが,忙しいのでタクシーを手配してくれました。ここからが問題発生です。搭乗口を出た後,僕の名前を書いた段ボールを持つおっちゃんがいたのでその人に付いていきました。車までの移動中話しかけてくれたのですが,ポルトガル語で話してくており全く理解できませんでした。そこで僕は日本語か英語話せませんか?って聞くと,No Japanese, No Englishって言われました。この時は,まあこの運転手は親戚の元に送ってくれるだけだろうと思い,油断していました。

そんな感じで親戚とはレストランに集合しました。そこで初めましてーから2時間ぐらいお話ししました。そこで初めてバイキング形式でご飯を食べました。ランチの後,親戚は仕事に戻り,僕は市内観光の予定でした。この時に案内してくれたのが先ほどのおっちゃんでした。日本語も英語もわからないおっちゃんでした。

正直思いましたよね 出川イングリッシュ超えとるやんけ!!僕のポルトガル語はシュラスコで出てくる肉の名前だけです。日常会話なんて無理です。これは詰んだと思いました。

この状況に対する武器は2つあります。Global wifiと地球の歩き方です。しかしglobal wifiにはバッテリーと通信量の制限があります。そのためポンポン使うことが出来ません。基本body languageと感覚だけでコミュニケーションを取った観光でした。

まず初めにブラジリアへの遷都を企画したジュセリーノ・クビッチェに行きました。ブラ次いるの首都がリオデジャネイロからブラジリアに遷都(首都が移る事)が起こったのは知っていたのですが,その理由や,背景を知ることが出来ました。ちなみに海沿いに首都があると他国から攻められやすいからです。しかし僕的には遷都を行った1960年には飛行機での戦闘もあるので,その理由はほんとかなーと疑っています。その博物館の人に話を聞いてみると,まあある国に借金して作ったからねーと言っていました。。ある国とは教えてくれませんでしたが,雰囲気で悟りました。

ブラジリア博物館の入り口 
ブラジリアを作った時の大統領

次に,テレビ塔や教会など独特な形をした建物を訪れました。この時もタクシーの中では次どこ行く?とかを地球の歩き方をみて決めたり,この車はここに停めておくからここに帰ってきてとかをボディーランゲージで感じながら,観光しました。正直、話が通じなく険悪な雰囲気に何回もなりましたが何とかなりました。色々観光した後,ホテルに戻り,親戚と合流して,3000円のパスタを食べて寝ました。僕は不安サイゼリアの300円のパスタしか食べないんで一桁変わるとこんなにも違うのかと感動しました。やっぱりアルデンテですよアルデンテ。また明日もブラジリア観光します。あのおじさんも登場します。